自分らしく暮らす ワーク&ライフスタイル術

『家族や社会の枠組みから自由になりたかった』 
~「按田餃子」オーナー 按田 優子さん~

『按田(あんだ)餃子』オーナー 按田優子さんの
「On」と「Off」の暮らしかた


仕事において際立つ実績をあげている人は、日々なにを考え、どんな風に暮らしているのか?

今回の主役は、予約のとれない水餃子屋『按田餃子』のオーナーである按田優子さん。
代々木上原にある本店は10席の小さなお店でありながら、1日に1000個以上の餃子が消えてしまう人気ぶり。
2016年にはミシュラン ビブグルマンにも選ばれ、以降3年連続で選出。
人気テレビ番組『セブンルール』にも取り上げられ、まさに飛ぶ鳥を落とす勢い。

しかし『按田餃子』も最初から順風満帆ではなかったと按田さんは言います。
31歳で離婚、勤めていた会社を退職しフリーランスに。
そこから人気餃子店になるまでのストーリーとは?

按田 優子さん プロフィール

保存食研究家。菓子・パンの製造、乾物料理店でのメニュー開発などを経て2011年独立。
食品加工専門家として、JICAのプロジェクトに参加し、ペルーのアマゾンを訪れること6回。2012年、写真家の鈴木陽介とともに『按田餃子』をオープン。著書に『たすかる料理』(リトルモア)、『冷蔵庫いらずのレシピ』(ワニブックス)。最新刊は『漬ける、干す、蒸すで上手に使いきる 食べつなぐレシピ』(家の光協会)など。雑誌での執筆やレシピ提供など多数。

家族や社会の枠組みから自由になりたかった

―按田餃子をはじめるきっかけを教えてください。

大学卒業後、お菓子やパンの製造に関わっていました。職人がすごく肌にあっていて、工房長も任されるようになって。そこでは、乾物カフェのプロデュースも経験させてもらいましたね。
でも入社から約10年経ったころ、プライベートで離婚を経験したんです。そしたら、だんだん会社という組織に属していることにも疑問が湧いてきて。「せっかく離婚して自由になったのに、なんで会社にいるんだっけ?」って思うようになって。
私生活も仕事も全部、そういう枠組みをなくして生きた方がいいと思い立って、独立しました。33歳でした。


―いろいろと煩わしくなったんですね。

それまでは、「いつか独立したい」なんて思ってすらいませんでした。「いい会社」「いい上司」のもとで働けるんだったら、それがベストだと思ってましたね。

―独立して、すぐに按田餃子をオープンしたんですか?

いえいえ、最初の数年は料理家として細々と仕事をしてました。ちょうどその頃、東日本大震災もあって、電気やガスが使えない生活をしばらく経験しました。それをきっかけに「冷蔵庫を使わないで暮らしてみよう」なんて、ちょっと実験的なことを始めたんです。部屋で乾物を作ったりしてて。
それが、編集者の目に止まって「レシピ本を出しましょうよ」って依頼を受けたんです。そのレシピ本『冷蔵庫いらずのレシピ(ワニブックス)』で、写真を担当してくれたカメラマンの鈴木陽介さんとの出会いが『按田餃子』創業のきっかけ。
撮影のときに「このレシピ本に掲載されているような乾物をつかったレストランがあったらいいね」とか「中国の秘境“按田地方”に伝わる架空の水餃子を食べられるお店を始めたら楽しそう」なんて、雑談がどんどん広がって、代々木上原で水餃子屋『按田餃子』をオープンすることになったんです。


―雑談から実際にお店を開くことになる。その行動力がすごいですね。

銀行から融資を受けたり、知人からお金を借りることなく、鈴木さんと、私含めた3名で貯金を出し合って『按田餃子』を始めました。「もし3ヶ月くらいでお店が立ちゆかなくなっても恨みっこなしね」って。赤字を垂れ流して、借金までして続けるのは違うよねというのは全員一致していました。
結果、軌道にのるまで数年かかりましたけど、「なにがあっても自分を信じよう」と励ましあえる仲間がいたから、今日まで続けてこれたと思います。

「この水餃子を美味しいと言っていいのか?」問題

「家族や仕事の枠組みから自由になりたい」と独立した按田さん。
その決断が人生の航路を大きく変えることになりました。
偶然出会った仲間たちとオープンすることになった『按田餃子』が人気店になる前に、ある試練があったそうです。

―軌道にのるのに数年かかったというのは、正直意外でした。按田餃子オープンから4年でミシュランにも選ばれていたので。

今となっては、SNSを通して口コミを広げていただいているんですけど。
実は、オープンして1年ほどは、お客様からの反応がすごく少なかったんです。想像するに「この水餃子を美味しいと言っていいのか?」はたまた「まずいと言っていいのか?」。お客様もわからなかったのかもしれない。

―私も初めて食べたとき「これは水餃子なのか?」とさえ思いました。モチモチした黒っぽい皮、パクチーやキュウリ、大根やザーサイの餡、スパイシーな練り調味料や豆豉(とうち)を使ったタレ…。醤油やお酢をつけて食べるお馴染みの餃子とは全然違いますよね。

なんとも言葉で表現しにくい水餃子と、感想を黙っているお客様。
そこに風穴を開けたのは、ある大物編集者の方でした。その方がSNSで「按田餃子、おいしい!」と言ってくれたことを皮切りに、一気に「美味しい」と言ってくれる人が増えたんですよね。風向きが変わったんです。
「薬膳的でおいしい!」「綺麗になれそうな餃子」「とにかく深い」など思い思いの言葉でみんながつぶやいてくれるようになって。


―他に似ているものがない、“ほんとう”にオリジナルなものだからこその試練だったのかもしれませんね。

今では中国、台湾、中東など、アジア圏の方が食べにきてくれることもあるんですけど、「これは餃子じゃない!」と言われたり、「君はどこの血が入っているんだ!?」と目をまんまるにして質問されたり(笑)。反応を楽しんでいます。

オリジナルを生み出す=必然性のある物語を生きること

既成概念にとらわれず、オリジナルの水餃子を生み出した按田さん。
「他の誰かが既にやっていることを真似する」「流行にのっかる」など、二番煎じのスタンスでは決して“オリジナル”なものは生み出せないはず。
その思考をさらに深く追いかけました。

―この世界にまだない“オリジナルなもの”を生み出す秘訣はなんだと思いますか?

自分の物語に矛盾がないことじゃないでしょうか?必然性のないことをしない。要は他人の物語を生きないということ。


―按田餃子の水餃子もその結果生まれたんですか?

もともとお菓子やパンの職人で、かつ、乾物に詳しかった私に、撮影で出会った人たちが「按田さん、水餃子屋やろうよ」と声をかけてくれただけ。 “偶然”訪れたきっかけに、自分だからこその “必然性”を宿す必要があると考えています。
例えば「大学卒業後、中国で餃子の修行をした」とか、「私のお母さんは中国人で、幼い頃からよく水餃子を食べてた」とか、私にはそういう物語(背景)がない。そんな私が「本格的な中国の水餃子を目指す」と言い出したら、それって矛盾だと思います。だって、必然性がないでしょう?


―「自分に必然性があることだけをする」「自分の物語を生きる」って難しいです。でも、その考え方が“オリジナルなものを生み出す”ということと密接に繋がっていることはよくわかります。

マクロな物語とミクロな物語を意識するんです。按田餃子でいうと、マクロな物語は「アジア圏の食文化」「日本」「時代性」「東京における代々木上原」。ミクロな物語は「按田優子の人生」。
それらの物語をかけあわせ、矛盾のない、必然性のあるものを表現する。その結果、この水餃子になった。自分の職人としての経験も、乾物の知見も全部が詰まっています。餃子の中身も、餃子の皮の配合も、全部矛盾がないんです。
まぁ…、これがなかなか人に教えられない部分だったりするんですけど(笑)

365日仕事をしてる。365日遊んでいる。

『按田餃子』の経営のみならず、道の駅のコンサルティング、メディアの連載などで忙しく過ごす按田さん。
この仕事ぶりの裏にはどのような暮らしがあるのでしょうか?

―按田さんは、毎日どんなスケジュールで動いているんですか?

『按田餃子』に出勤するのは週4〜5回。でも、出勤がない日も事務作業をしたり、連載のエッセイを書いたり、スタッフのシフトを調整したり…、そういう意味では毎日仕事しているような感じです。


―経営者であり、かつ生活の一部でもある「食」を仕事にしていると、仕事とプライベートのスイッチを切り替えるのが難しいですか?

1日の時間割としては、朝9時〜10時に起きて、お昼を食べたら昼寝して、出勤するのは15時ごろと遅め。
でも、そこから24時くらいまで働いて、ようやく寝床に入るのが夜中の2時。ちゃんと仕事のスイッチを「Off」にしようと思わないと、ずっと仕事をしてしまうのが難しいところです。

1日のスケジュール

―朝が遅くて、昼寝もできていいなぁと思いましたが、普通の会社勤めの方と“働いてる時間帯”が違うだけですね。

幸いなことに『按田餃子』は経営する立場だし、今携わっている道の駅のコンサルティングや連載の執筆なんかも、好きなことから派生したお仕事なので。やらされてる感はなく、そもそも「Off」をベースに生きているような気がします。とても有難いことです。


―プライベートな時間は「Off」、仕事をするときは「On」と明確に切り替わるポイントがないものの、矛盾がない仕事をしてるからか、ストレスではなさそうですね。

とは言っても、仕事に付随する面倒なことも引き受けざるを得ないので、自分なりに「On」から「Off」を切り替えるルーティンはありますよ。それは、毎晩寝る前に“自分の生活とは無関係な本”を読むこと。


―自分とまったく無関係だからこそ、「On」を「Off」にするスイッチになる。

架空の世界の物語、遠い地球の裏側の物語など…、無関係な本を読むと仕事で興奮した頭をカームダウンすることができるんです。まぁ、2ページも読めば、大体眠りに落ちてしまうんですけどね(笑)。

週5日働くことを誰も強制なんかしていない

自分に矛盾なく仕事をし、きちんと心地よく暮らす。
その両立の難しさは誰もが想像できるはず。
「いい暮らしを享受するためには、やりたくない仕事も引き受けなくてはならないのでは?」…
そんな強迫観念に按田さんは優しく問いを投げかけます。

―改めて、按田さんのように矛盾なく仕事をして、ご機嫌に暮らしていくのは思った以上に難しいことのように思います。

最近出した著書『食べつなぐレシピ』では、「年収200万円でも、楽しく暮らす」をひとつのテーマにしました。
私も按田餃子が軌道にのるつい最近まで、年収200万円でした。今現在、年収200万円よりずっと稼げている人も「生涯その年収を稼ぎ続けられるか?」と聞かれれば、誰もが不安になりますよね。元気いっぱいに働けているときもあれば、病気になったり、歳をとって無理がきかなくなるときがくるかもしれない。
そういうあれこれを全部踏まえて、生涯の年収をトントンとならすと200万円ぐらいになるんじゃないか?って思ったんです。

―自分が50代、60代、ましてや70代になったときに、今と同じだけ稼ぐのは無理でしょうね。

「将来に備えて、今節約しよう」ということでは決してないんです。どんな境遇にあっても、ちゃんと幸せで、自分なりに美味しいものを作って、自分を満足させられるって尊いことです。
私の場合、基本的に外食をしないので、月の食費は大体1万円。大根丸ごと1本や、まぐろのカマ、豚肉のブロック肉を買って、友達と分けあって食べるのもアリですよね。持ち寄りで食事会をしたりすることも多いです。
自分のために、自分で料理を作る「孤食(こしょく)」が多い時代だからこそ、ちゃんと幸せを感じるための「食」を根本から考えることは大切だと思います。


―月の食費1万円には驚きました…!自分はもっと食費をかけていますが、豊かに食を楽しんでいるかと問われると自信がないです。

そもそも「週5日バリバリ働いて、経済的に自立せよ!」なんて、本当は誰も強制してないんですよね。
「もしかしたら自分自身の強迫観念が、自分を苦しめているのかもしれない」。自戒を込めて、そう考えるようにしています。

明日死んでしまっても、後悔がないように生きる

 “いい暮らし”は、必ずしも贅沢な暮らしとは限りません。
按田さんにとって“いい家”や“いい暮らし”とはどういうことなのか最後に尋ねてみました。

―最後に按田さんにとっての“いい暮らし”とはなにか、教えていただけますか?

いい暮らしの条件があるとしたら、「いま、不安がないこと」だと思います。「10年後こうなっているかもしれないから、今こうしておこう」「仕事がなくなったり、病気になったら、私どうやって暮らしていくんだろう」とか、起こるか起こらないかわからないことで、不安になってしまうことって誰にでもある。
でも、もしかしたら明日死んでしまうかもしれない。最近、話題になった老後2000万円問題とかも、その発想自体がなんだか寂しいなぁって思うんです。
未来を不安がって生きていたら、大切な「今」が乏しくなってしまう。未来を案じて不安になるのではなく、病気になっても生きていけるような人間関係とか、食事とか、家とかを一つ一つ手応えをもって掴み取っていけると素敵ですよね。

―矛盾なく、必然性のあることを選びとっていくことが、その一歩かもしれないですね。仕事も、プライベートも。もちろん家も。

そうですね。本来、家はごくごくプライベートな場所だからこそ、めいいっぱい自分だけのファンタジーや、物語を紡いでいったらいいと思います。
ずっと気張って生きていたら、心から休めるところがなくなってしまいますから。そういう家や暮らしを考えることが“いい人生”を生きるきっかけになるのではないでしょうか。

1. 自分に矛盾がない、必然性のある物語を生きる

2. 仕事で高まった気持ちは、どこか遠くの物語を読んで落ち着かせる

3. 人生を豊かに暮らせるように、年収200万円を基準に自炊を楽しむ

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