自分らしく暮らす ワーク&ライフスタイル術

自分らしく暮らす ワーク&ライフスタイル術
騎手 クリストフ・ルメールさん Vol.8

「仕事とプライベート、どちらも大切にしたいけれど、バランスが難しい」そんな悩みを持つ人が多いのではないでしょうか?このコラムでは、仕事にまい進するゲストの日々の過ごし方から、暮らしの中で大切にしていることを紐解いていきます。

今回のゲストは、4年連続で全国最多勝利騎手を獲得。名実ともにトップジョッキーとして知られるクリストフ・ルメールさん。フランスをはじめとする世界各国で活躍をした後、外国人としては初となるJRA(日本中央競馬会)の騎手免許を取得。日本での活躍に至るまでの軌跡を辿るとともに、京都での暮らしや、1男1女の父としてプライベートの顔も見せてもらいました。

クリストフ・ルメールさんプロフィー
1979年生まれ。フランス出身。1999年にフランスの騎手免許を取得しデビュー。日本中央競馬会(JRA)の短期免許で2002年に初来日して以来、毎年3ヶ月間、日本のレースで騎乗。2015年に通年騎手免許を取得し、外国人初のJRA所属騎手に。2017年以降、4年連続JRAリーディングジョッキーを獲得。2018年には歴代最多の年間215勝を記録。2021年も自身最速ペースで年間100勝に到達し、勝ち星を積み上げている。

【WORK】フランスの騎手生活を経て、日本の競馬界で活躍

―騎手を志した理由を教えてください

<幼少時代>障害騎手の父を見て育ち、身近だった競馬の世界へ

 

父が障害競走専門の騎手で、小さなころから競馬場に出入りしている中で自然と騎手を志す気持ちが芽生えました。障害騎手は落馬が多いため、父のように体格がしっかりとした人が向いていますが、私は小柄だったため、平地の騎手を目指すことに。競馬学校に入りたかったのですが、当時は騎手となることに難色を示していた父の勧めで通常の高校に通うことに。そのことに不満はなく、高校に通いながらアマチュアの大会でレース経験を積みました。念願が叶い、騎手としてデビューしたときは嬉しかったですね。両親から離れ、騎手として自力で生活をするようになっていて、とても自由な気持ちで幸せでした。

1983年オートゥイユ競馬場(左)と、2017年栗東トレーニングセンターで撮影。いずれも左が障害騎手だった父のパトリスさんで、右がルメール騎手

<騎手デビュー>世界各国の競馬に参戦した経験を糧に、日々成長

―フランスで騎手デビュー後、早い段階から世界各国で騎乗の機会を求めたのはなぜですか

世界各国の競馬に参戦したのは、環境を変えて世界観を広げることが大切だと思っていたからです。ヨーロッパのみならず、アメリカやドバイ、インドでも騎乗を経験しました。

インド競馬は当時、イギリス人やアイルランド人で挑戦している人はいたのですが、フランス人では誰も行ったことがなく「自分がパイオニアになれるのでは?」と思って依頼を受けることに。2日間に3つのGⅠレース(GradeⅠの略で、最も格上のレース)を含む7勝を記録するなど結果を残すことができましたし、フランス人でも英語でコミュニケーションを取り、言葉の壁を感じさせずに仕事できることも証明できました。その成功をきっかけに、以後は毎年56人のフランス人騎手がインドの競馬に参戦しています。


―短期免許制度による日本での騎乗も2002年からと早くからスタートさせています。日本の騎手や調教師から学んだことはありますか?

レースで騎乗する度に、今もなお、人からも馬からも多くのことを学び続けています。生き物の世界なので、人も馬もそれぞれにキャラクターが異なり、そこから学ぶものも毎回異なります。全てが自分の経験に繋がり、どんどん学んで吸収し、成長できていると思っています。

―日本の馬と海外の馬の違いを感じることがあれば教えてください。

子どもと同じで、どのように教育されたか、その過程によって馬も変わります。日本の馬はスピーディな馬が多いですが、ヨーロッパの馬はスタミナがあってタフな馬が多いですね。

―それにより、馬への接し方も変わりますか?

個々の馬に合わせていかにポテンシャルを引き出すかは、騎手の腕の見せどころです。よい騎手かどうかは、馬に合わせられるキャパシティーの有無で決まると思っています。体が資本の仕事なので、日々のマッサージやボディケアが欠かせません。体のケアはメンタルのケアにも繋がるのでとても大切です。体のコンディションが良ければ、メンタルもフリーになれるし、気持ちよくレースに集中できたり、自信を持てたりしますからね。

<フランスから日本へ>通年の騎手免許試験を受験するため、勉強の日々

―騎手としてのキャリアはずっと順調だったのでしょうか?
 
全てのアスリートにおいて、ずっと同じ位置でキャリアをキープすることは難しく、上がり下がりがあると思います。

私の場合は、(世界屈指のオーナーブリーダーとして知られる)アーガー・ハーン4世との優先騎乗契約(契約金を得て特定のオーナーの競走馬に優先的に騎乗する、海外ではステータスとされる契約)が切れたことがきっかけで、すっかりと自信をなくしてしまいました。周囲が自分を見る目が徐々に変わっていることを感じ「信用してもらえなくなってしまった」という気持ちがぬぐえず、競馬場に行くこともためらってしまうくらいモチベーションをなくしかけていました。今にして思えば、この辛い経験を乗り越えたことが強くなれた大きな要因です。

―JRA騎手免許試験の受験を決意した経緯を教えてください

短期騎手免許を取得し、毎年日本で騎乗を続けてきた日本は自分にとって馴染み深く、賞金も、馬のレベルも高いことが分かっていました。JRAの決まりで外国人騎手は1年のうち最大3ヶ月間しか日本で騎乗できませんが、2013年からJRAが通年の外国人ライセンスを発行することになり、興味を持ちました。競馬そのものに対するモチベーションを失いかけていたタイミングだったこともあり、新しいチャレンジを欲していた部分も大きいです。

―日本以外の国で競馬をすることは考えなかったのですか?

オーストラリアやアメリカへの移籍も考えましたが、子どもたちをフランス人学校に入れたいという事情も考慮すると、日本がベストな選択でした。

妻にも相談しました。彼女は私が海外で騎乗する際は常に同行してくれるので、私のメンタルが最も弱っているときもそばにいて、「環境を変えたい」という気持ちを誰よりも理解していました。ですから、相談したらすぐに賛成してくれましたし、自分よりも興奮していたくらいです(笑)。

子どもたちは当時まだ小さかったため、すぐに順応するだろうと判断しました。もし、子どもたちが既にティーンエイジャーになっていたら、生活を変えることは難しかったかもしれませんね。

―日本人でも難関とされるJRA騎手免許試験に、一発合格をされました。どのように対策したのでしょうか?

一次試験は英語ですが、2次試験は日本語での口頭試験です。フランスでは家庭教師を付けて1年間日本語を学びましたし、JRAのルールなどについても1年間勉強をしました。受験は簡単ではありませんでしたが、自分の回答に自信がありましたね。

クリストフ・ルメール騎手が短期騎手免許で来日していた当時から現在まで、通訳などサポートを続ける吉松桃子さん(右)と


―その経験をもとに、他の外国人騎手から相談を受けることもありますか?

インドの競馬に挑戦したときと同様、JRAの所属騎手となったことも、私とミルコ(同年に合格した、ミルコ・デムーロ騎手)がパイオニアだと思っています。他の騎手もあとに続けばいいなと思っていますので「どういう勉強をしたらいいの?」といった質問にはできるだけ答えるようにしています。ジョアン・モレイラ騎手やミカエル・ミシェル騎手には実際に話をしました。2人ともとても上手な騎手ですし、一緒にJRA所属騎手として騎乗する日を楽しみにしています。

<日本の競馬界で活躍>JRAに所属する外国人騎手のパイオニアに

―短期免許では何度も来日していましたが、通年騎手免許を取得してJRA所属騎手として毎週騎乗をするようになり、変わったことはありますか?

短期免許で来日している間は「3ヶ月経ったら帰国する人」でしたから、競馬に関わる全ての人々と深い関係を築くことは難しい面がありました。今は調教師やオーナーの方々と深い関係を築くことができるようになり、状況は大きく変わったと思います。


―これまでたくさんの馬に騎乗してきましたが、印象に残っている馬は?

国内外の芝G1レース9勝の偉業を達成した名牝、アーモンドアイ(写真提供/JRA )


アーモンドアイと巡り会い、初戦から引退レースまで一緒に過ごすことができたのは夢のようなことです。騎手には「スペシャルな馬に出会うこと」「大きなレースに勝つこと」「ファンと馬の勝利を分かち合うこと」という3つの夢があると思っているのですが、アーモンドアイと一緒に過ごした3年間で、その全てが叶いました。


―今後、勝ちたいレースはありますか?

「次のレース」、つまり土曜日の1レースですね(笑)。あとは、高松宮記念と朝日杯FS、大阪杯、ホープフルステークスはGⅠレースの中でまだ勝ったことがないので勝ちたいです。あとは、ダービーをもう一度勝ちたいですね。(注:大阪杯とホープフルステークスは、GⅡ時代に優勝経験あり)
より大きな目標としては、日本馬で凱旋門賞(世界最高峰のレース)を勝てたらいいなと思います。
 

2017年に、第84回東京優駿(日本ダービー)をレイデオロで優勝(写真提供/JRA )

2020年JRA最優秀短距離馬に選ばれたグランアレグリア。ヴィクトリアマイルのレースでは4馬身差の圧勝(写真提供/JRA )


―52歳で今なお現役を続ける武豊騎手のように、年齢を重ねてもジョッキーを続けたいと思いますか?

「いつまで」とは決めていませんが、できればトップでいられる間に辞めたいという思いがあります。武豊騎手は、スペシャルな存在です。50歳を超えて、自分もあれだけのパフォーマンスをキープできるか、今はまだ想像がつきませんので、見ていてください!

―ジョッキーとしてのキャリアを終えた後のことを考えていますか?

まだノープランで、どういう形がベストかは分かりませんが、競馬界に恩返しができたらと思っています。日本で活動を続けるかどうかは50:50ですが、妻も日本の生活を気に入っていて、友だちもたくさんできましたので、日本に残る可能性はあると思います。
仕事道具Check

何らかのアクシデントで落馬した際などに頭部の負傷を防ぐ「ヘルメット」。騎乗する枠ごとに帽色(ぼうしょく)が決まっていて、写真の橙は7枠に入ることを意味します。関西用と関東用にそれぞれ4つずつ所有しています。2年くらいで交換するイメージです。

見せたり叩いたりすることで馬の走る気を促す「鞭」。騎手の使い方ひとつで、レース中に競走馬がどれだけの能力を発揮できるのか決まります。10本くらい所有していて、1年程度で交換するイメージです。

レース中に着用することで風雨や砂、泥などを防ぐ「ゴーグル」。悪天候時は特に汚れやすいため、何枚か重ねて着用し、レース視界が遮られるごとに外しながら騎乗することもあります。傷がつきやすいため、5~6ヶ月で交換することに。数え切れないほど常備しています。

ダートレースの際、前の馬が蹴り上げた砂が顔に当たるのを防ぐ「ダート板」は、ゴーグルの上から装着します。レースによっては2枚重ねて付けることも。レースごとに、バレットさん(競馬開催時に騎手をサポートし、騎乗する全レースの準備をする人)がラップを貼るのが伝統です。

奥さまお手製のアーモンドアイマスクはジャパンカップの前、関係者に配布。(写真のマスクは吉松さんからお借りしたもの)。GⅠ8勝を示す8つの星が刺繍されていますが、ジャパンカップ優勝後、追加の星が配られたそうです。

ルメール騎手には、勝利騎手インタビューの前に9つの星が刺繍されたマスクが手渡されたそうです。「引退レースを勝ち、星が9つのマスクを着用できることが嬉しかったです」。

【LIFE】家族の存在が心のバランスを保ち、自信の源に

左から奥さまのバーバラさん、アンドレアちゃん14歳、ルカくん16歳


―奥さまとの出会いや結婚について教えてください
 
妻は元々、競馬場のフォトグラファー。初めて会ったのは、彼女がいるオフィスへ写真を撮りに行ったときです。後日レストランで偶然会ったとき、共通の友だちに紹介されたことがきっかけです。フランスでは同棲をしてもすぐには結婚せず、いわゆる事実婚を続けるカップルが一般的。私たちが結婚したのは、一緒に住むようになり、7年ほど経ってからのことでした。
夫婦円満の秘訣は、互いの話をよく聞き、話し合うこと。相手を尊重し、自分勝手なことをしないことが大切だと思っています。
 

北海道競馬のため滞在中の函館にて。休日は、趣味のゴルフを楽しむことが多いのだそう


―家族のこと、子育てについて思うことを教えてください
 
家族の存在が自信に繋がりますし、仕事とプライベートのバランスを保つ上でも大切な存在です。
子育ては、夫婦で役割分担があると思います。私の仕事は主に、お金を運んでくること。あとは子どもが悪いことをして妻が叱っているとき、審判する役割でしょうか。だいたい妻が正しいので、主に妻の味方をすることになります(笑)。
 

JRA賞騎手大賞の授賞式には、家族全員で参加


―毎年、正月最初の週と夏競馬中の一週は騎乗をお休みし、家族との時間を大切にしているそうですね

春や秋は毎週のように大きなレースが続き、緊張状態が続き、プレッシャーと戦っています。1年が終わったタイミングで仕事と私生活を一旦切り離し、心も体もリフレッシュすることが必要だと思っています。子どものフランス人学校も正月や夏は休みですし、子どもたちに普段とは違う生活を体験させてあげる意味でも、家族が揃って過ごす時間がとても大切です。

―京都での暮らしについて教えてください

栗東(りっとう)トレーニングセンターにも、フランス語のインターナショナルスクールにも行きやすい、京都市内のマンションで暮らしています。京都は大きな都市ですが、東京のような大都会でもなく、公園があちこちにあり、落ち着いて暮らせる環境です。馬と同じで、住む場所に自分が合わせるべきだと思っているので不満はありません。
子どもたちはフランス人学校に通っているため、全ての授業がフランス語で行われています。今までと大きく変わらない生活ができていますし、日常生活において日本のルールに合わせることも、特に問題はなく過ごせているようです。

―現在のお住まいについて教えてください

今のマンションは、日本人の友だちがインターネットで見つけてくれました。今の物件に決める前に気に入った物件があったのですが、タッチの差で他の人が契約してしまい、残念な思いをしました。しかし、翌日に他の物件が見つかったと連絡をもらい、見に行ったところ、広くて景色も良いのでとても気に入りました。結果的にはラッキーでしたね。大好きな屋根付きテラスがあり、家族でBBQランチやディナーをしながらおしゃべりをするのが毎日の楽しみです。

【WORK-LIFEBALANCE】平日は、心や体をケアする日に

―騎手は金曜日に調整ルームに入り外部との接触を遮断し、土・日曜日のレースに備える決まりがあります。一週間をどのように過ごしていますか?
 
金曜日に競馬場へ行き、土・日曜日はレースに騎乗。月曜日はリカバリーの日と決めていて、遅くまで寝ていることが多いです。午後はジムへ行き、ボディケアを行い、フィジカルコンディションを整えます。火曜日はフリータイムで、山道をサイクリングしたり、趣味のゴルフをしたり、妻とランチやショッピングに出かけることもあります。水曜日の朝は、調教のために栗東トレーニングセンターへ。午後はフリータイムです。木曜日は調教があれば再び栗東へ行きますし、なければジムでトレーニングを。夜は、週末騎乗する馬の勉強をする時間です。レース映像のチェックなどをして備えます。

―土・日曜日に働く生活ですが、子どもとの時間をどのように捻出し、コミュニケーションを育んでいますか?
 
学校が休みの土・日曜日に子どもたちと過ごすことができないため、平日の午後など、子どもたちが学校から帰ってくる時間にはできるだけ家にいるよう心がけています。雨が降っている日は、車で学校へ迎えに行くこともありますよ。


―奥さまやお子さまと競馬の話をすることはありますか? 

あまり話しません。特に子どもたちは、競馬にあまり興味がない様子。大きいレースの時には熱心に応援してくれますが・・・・・・。ただ、アーモンドアイが現役の時だけは、次走の予定を知りたがっていましたね。
また、レースで勝った日は家族でレストランに行ったり、シャンパンで乾杯したりしています。
 

頭の中を最も多く占めているのは、家族のこと。活力の源です。仕事ももちろん大切です。趣味はゴルフ。妻とも、日本の友だちとも行きます。明日も行きますよ(笑)。週2回のボディケアも趣味と言えるかもしれません。また、チョコレートを食べるのが好きで、家に常備しています。フランスのチョコレートはおいしいですが、日本にもいいパティシエがたくさんいますね。

【End roll】クリストフ・ルメールさんのマイスタイルとは?

基本的には楽観的で「いつもハッピー」と笑う、クリストフ・ルメールさん。「Le bonheur que l'on a Vient du bonheur que l’on donne!」という言葉は「人を幸せにしたら自分も幸せになれる」という意味があるそうです。数々のレースで偉業を達成し、人々に夢や希望を与えているからこそ、自身も幸せであり続けることができるのかもしれませんね。

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