自分らしく暮らす ワーク&ライフスタイル術

自分らしく暮らす ワーク&ライフスタイル術
手工業デザイナー大治将典(おおじまさのり)さん Vol.6

「仕事とプライベート、どちらも大切にしたいけれど、バランスが難しい」そんな悩みを持つ人が多いのではないでしょうか?このコラムでは、仕事にまい進するゲストの日々の過ごし方から、暮らしの中で大切にしていることを紐解いていきます。
今回のゲストは、手工業デザイナーとして身近な生活用品を多数手がけている、大治将典(おおじまさのり)さん。地元広島でグラフィックデザイン事務所として独立後、30歳でプロダクトデザイナーに転向した背景や、これまで手がけてきた作品の数々、海外での活躍や今後の展望、川越での暮らしについても語ってもらいました。
 

大治将典(おおじまさのり)さんプロフィール
1974年生まれ。広島県出身。建築設計事務所、グラフィックデザイン事務所を経て、1999年「msg」を設立。2004年に拠点を東京に移し、2007年「Oji & Design」に社名変更。日本の様々な手工業品のデザインやブランディング、付随するグラフィックなどを統合的に手がけている。2012年からは、中量生産・手工業品を専門とした商品展示会「ててて商談会」を共同で主催している。

【WORK】地元広島から上京。プロダクトデザイナーの道へ

―建築やグラフィックの仕事を経て「手工業デザイナー」となった経緯を教えてください

<広島時代>幼馴染とともにグラフィック事務所を設立

建築学科を卒業後、都内のアトリエ系建築設計事務所に転がり込んだものの、向いていないことに気づき、地元広島へ戻ることに。グラフィックデザイナーの仕事をしていた幼馴染と一緒に事務所を立ち上げ、試行錯誤するなかで、グラフィックの仕事で培った印刷の知識と技術を使い、メモ帳やスケッチブックを作ることを思いつきました。セレクトショップ「VIA BUS STOP」の代官山店がオープンした際にスケッチブックを取り扱ってもらい、たくさんの人が手に取ってくれた経験から「プロダクトデザインって面白い!」と手ごたえを感じました。
 
その後「プロダクトデザインの仕事を増やすきっかけになれば」と、毎月コンペに作品を出品するようになりました。いくつかの賞を受賞できたのですが、以前に携わっていた建築の世界と異なり、プロダクトのコンペでは、どんなに面白い提案をして1位になっても、主催者がその商品に合った販路をもっていなければ商品化はされないことを知りました。仕事に直結しないことが分かり、違うアプローチを考え始めました。

<独立>プロダクトデザインで勝負するために心機一転、上京

「もっと、ものづくりがしたい」と思い、30歳のときに、拠点を広島から東京へ移しました。プロダクトを主軸にしたデザイナーへ転向するにあたり、グラフィックの事務所も仕事も全てパートナーに譲りました。グラフィックだけの仕事は受けず、プロダクトも絡めた仕事だけを受けると豪語したものの、当然ながら新人に仕事はなく、細かな仕事を引き受けながら食いつなぐ毎日でした。

東京に来て間もない頃に声をかけてくれたという、白木屋傳兵衛(しろきやでんべえ)商店の依頼で立ち上げた掃除道具のブランド「掃印(そうじるし)」の掛けほうき+ひもはりみ(柿渋を塗って仕上げたちりとり)のセット。大治さんにとって、ブランドロゴや商品のデザイン、パッケージなどトータルで手がけた最初の仕事になったそうです

「手工業デザイナー」という肩書き

「マスプロダクション(大量生産)ではなく、適量生産・少量生産の仕事がしたいことが伝わる肩書きにしたかった」と大治さん。プロダクトデザインを手がけるメーカーの多くは地場産業で、全行程を自分たちで行う、昔ながらの「家内制手工業」で成り立っていたことから「プロダクトデザイナー」ではなく「手工業デザイナー」と名乗っているそうです。
「僕が関わってきたメーカーさんは、問屋から発注されたものを作って売る、いわゆる問屋制度が崩壊し、商品だけでなく流通網も自分たちで作らなければならなくなったところばかり。自然とデザインだけでなく、ブランディングからパッケージ、流通に至るまでトータルで携わるようになりました。また、プロジェクトの始めに、『このブランドは何か』『我々がどんな人で、何をしたいか』をお客様に伝える『お手紙』を作成することでコンセプトを認識し合い、完成まで軸がぶれず、芯の通ったものづくりをしています。こうした方法は、グラフィックや建築を学んだ経験が生きているのではないかと思っています」。

―35歳のときにFUTAGAMIのブランドディレクターに就任されましたね

きっかけは、富山県総合デザインセンターが開催する金属のワークショップに参加したことでした。当時、デザイナーがそれぞれに栓抜きをデザインして持ち寄る「センヌキビールバー」というイベント企画があり、それに向けて真鍮(しんちゅう)の栓抜きに取り組んでいたのですが、ワークショップへ技術指導に来ていた高岡市の真鍮鋳物メーカー「二上(ふたがみ)」さんに相談をしたことが始まりです。

「FUTAGAMI」の栓抜き(左)と箸置きは、銅と亜鉛の合金である真鍮製。使い込むごとに表面が酸化し、味わいが深まります


「FUTAGAMI」を発表するまでには様々な苦労がありましたが、一番は「鋳肌(いはだ)をそのまま出そう」と決めたことでした。真鍮の製品は通常、磨いて塗装をすることが多いのですが、鋳造(ちゅうぞう)したままのざらりとした質感の「鋳肌」を敢えてそのままの商品を作ることを提案。しかし、変色の可能性が高く、商品ごとに表情の差も出るためクレームのリスクが高く、産地ではタブー扱いされる製造方法でした。
 
自信をもってものづくりをし、発表したものの、商品を世の中が受け入れてくれるのか不安で、当時は後頭部の髪の毛がごっそりと抜けてしまったほどです(笑)。二上の社長も非常に緊張していましたが、今や多くの人に愛される商品になりました。しかし、生産効率が悪く、作れる量に限りがあるため、鋳肌の商品を作ろうという他のメーカーはいまだに出てきません。でも二上の社長と職人さんができる範囲内でものづくりができて、作り手としての幸せを感じられることが僕にとっての幸せですし、そうした秘めたる個性を、各メーカーで見つけたいと思っています。
 

<海外進出>手がけた作品が、世界35~36ヶ国で販売されるように

―海外の展示会に参加するようになった経緯を教えてください

業者向けの展示会「FOR STOCKISTS」などでお世話になっていた中原慎一郎さんから、ミラノサローネ(世界最大規模の見本市)で一緒に展示をしようと誘われたことが始まりでした。正直なところ、当時は海外志向がなく「職人さんたちと幸せにものづくりができればいい」と思っていたのですが、二上さんに相談したところ「せっかくのチャンスだから絶対に出た方がいい」と背中を押されて参加を決めました。ちょうどSNSが普及し始めた頃で、海外から多数の問い合わせをいただき、海外の展示会に出るようになりました。展示会を行った国で商品が売れて、違う国からも声をかけていただく繰り返しで、現在は北米やヨーロッパを中心とした35~36ヶ国で販売しています。

大治さんの作品を扱うショップは世界中にありますが、中でも懇意にしているのがカナダ・トロントの「Mjolk(ミョーク)」。写真の大きなまな板は、同店のオリジナルです。「ミートボードが欲しいと言われてデザインしました。スパイス置き場と肉汁が溜まる溝がポイントです」と大治さん


<商品展示会を共同主催>「ててて商談会」を通じ、多くの作り手が交流

―「ててて協働組合」を設立し、「作り手」「使い手」「伝え手」の3つの手を繋いでいく活動を始めたきっかけは?

「地方の小さなメーカーの商品を発表する場が欲しい」という想いから始めました。というのも、僕が関わっているような地方の小さなメーカーは、大きな展示会でバイヤーさんに興味をもってもらっても、短い納期でたくさんの量を納品することができないため、展示会に出展しても商談がまとまりませんでした。また、前述の「FOR STOCKISTS」はアパレル寄りの作り手が多く、いわゆる日本の伝統工芸ベースで新しいものを作っている人はあまりおらず、ちょうどいい展示会がなかったため、仲間たちと、中量生産・手工業品を専門とした商品展示会「ててて見本市(後に「ててて商談会」へ名称変更)」を開催するようになりました。
 
参加しているメーカーは、地場産業のいわゆる問屋制度からはみ出して孤立しているところばかりでしたが、参加をきっかけにメーカー同士の仲間意識が強まり、新たなものづくりのコミュニティになっている様子を見て嬉しく思います。同じ地域で同じ素材を扱うメーカー同士だとライバルになってしまいますが、異なる地域で同じような仕事に従事しているメーカーとメーカーが出会うと同志になれると身をもって感じました。
自分が手がけたものを売るために始めた取り組みでしたが、今は真剣にものづくりと向き合うメーカーと、それを伝えてくれるバイヤーの出会いや交流を見守る気持ちが強いです。ゆくゆくは運営を若い世代に託せればと思っています。

―2020年には、大治さんが関わるメーカー4社合同のイベント「つくり手の星座」を開催。工場見学などを行いましたね

2020年の秋に予定していた「ててて商談会」が新型コロナウイルスの感染拡大により中止になり、そのために仕込んでいたものを、できるだけ密にならない方法で提供する方法を考えました。そこで、僕がディレクションを務める富山県高岡市の「FUTAGAMI」、佐賀県西松浦郡の「JICON 磁今」、東京都多摩市の「ZIKICO」、石川県輪島市の「四十沢(あいざわ)木材工芸」の4社がそれぞれの場所で同時にイベントを行い、一番近い会場へ見に行けるような形式をとりました。各社で工場見学を行うとともに、どの会場でも4社すべての新製品を見てもらえるようにしました。
4社の皆さんとはこれまでも、商談会のタイミングで話したりお互いの工場を行き来したりして交流をすることはありました。でも、今回「つくり手の星座」を開催した際は、オンライン会議を通じて4社の商品コンセプトを改めて伝え、商品のやりとりをすることで、互いにデザインの関連性を感じてもらうとともに、4社の結束を深めることができました。
 

FUTAGAMI

一昨年から「FUTAGAMI」でイベント時に販売している「リターン材」は、鋳造工程で溶かした真鍮を型に流し入れる時に溢れたもの。以前は量り売りでしたが、「つくり手の星座」では新型コロナ対策で袋詰めにして販売。ディスプレイとして人気です

JICON 磁今

自身が手がけるブランド同士のコラボにも積極的な大治さん。磁器ブランド「JICON 磁今」の新製品「キャンドルスタンド」(左)は、ろうそくを差し込む部分を「FUTAGAMI」が真鍮で制作し、組み合わせました。「すすむ屋茶具」の「すすむ土瓶」は、真鍮の取っ手を「FUTAGAMI」、磁器の部分を「JICON 磁今」が制作しています

ZIKICO

ジルコニアという、人工歯(じんこうし)や人工関節などで使われる素材に特化したブランド「ZIKICO」のカトラリー。「JICON 磁今の磁器は114%の大きさで作って焼成すると100%まで縮むのですが、ZIKICOはもっと縮むため、130~140%で作ります。縮んでも形が壊れないように作ることはとても難しく、10年かけて研究開発をした賜物です。100年後に伝統工芸になりうる、サスティナブルな商品だと思っています」と大治さん

四十沢木材工芸

四十沢木材工芸による木の器「ara!」は、子どもが両手で持ちやすく、厚みがあるので壊れにくいつくり。子どもが成長したらメーカーに送り、大人でも使いやすいフォルムに削り直してもらうことができます。写真左は子どもが使いやすいフォルム、右がリフォーム後のコップ

「ててて協働組合」を設立した10年前は、自社のECサイトしか販路がないと商品はなかなか売れませんでしたが、現在は問屋を介さない、メーカー直販が当たり前の時代です。僕が生活用品のデザインをするにあたり、もの自体の価値は変わりませんが、ものの伝わり方は時代とともに変わっていきます。二上では元々仏具を製造していましたが、需要が減少し、培った技術を活かしながら自社ブランド「FUTAGAMI」を世に出しました。伝統を、ただ守っているだけでは会社がなくなり、ひいては伝統技術もなくなってしまうから、固執してはいけない。時代に即した流通や、使い手が求めていることを肌感覚で認識し、「伝統を活かし、続けていくこと」が大切だと思っています。
仕事道具Check

プロダクトデザインをするにあたり、iPadは必需品。いつでもどこでもスケッチができます。スケッチができたら、寸法を書いて図面化します。

大治さんが描いたスケッチのデータは、スタッフが指示をもとに3Dモデルにします

CGをもとに、3Dプリンターでモデルを作ります。大きなものは出力するのに2~3日かかるため、大治さんは4台の3Dプリンターを並行して使用しています。微調整をして、ある程度イメージが固まったらメーカーさんに持って行き、試作を製作してもらいます。

手前が3Dプリンターで出したモデルで、奥はメーカーによる試作品。底に、バージョン名や作成した日を記しています。試作を何度も繰り返し、商品が完成します。

自宅2階のアトリエでは、スタッフと2人で作業を進めます。「上京してからはずっと1人でやってきましたが、彼が入ってからは、僕が打ち合わせに行っている間なども作業を進めてくれるので助かっています。6年も一緒にやってきたので、僕が描いた線の意図なども理解したうえで対応してくれる、大切な戦力です」と大治さん

【LIFE】昔ながらの街並みと豊かな自然が心地よい川越での暮らし

大治さんは夫婦と高校1年生の長男、5歳になったばかりの次男の4人家族。川越にある庭付きの一軒家で生活し、仕事もしています

―奥さまとの出会いは?

20歳の頃に出会い、僕は当時大学生でしたが、妻は既に短大を出て就職していました。かたや建築学科の貧乏学生、かたや社会人だったので、僕が必要なものや欲しいものがあると妻に「こちらをご覧ください。大治はこうなっていくでしょう。だからこの本が必要なのです!」なんてプレゼンをしていました(笑)。
 
私のものづくりの基準は「妻が分かるもの」で、それは知り合った当時から変わりません。妻はデザインと関係のない仕事をしていましたから「デザインに興味がない、普通の人」の代表として指針にしていました。ものづくりの基準が自然とできたのは妻のおかげです。
貧乏で、家にお金を全く入れることができない期間が長かったため、妻は周囲の人に「大治はやめた方がいいんじゃない?」とよく言われていたようです。そんなときを経て、今は普通にごはんが食べられるようになって良かったです(笑)。
 

「夫婦円満の秘訣は、おいしいものを一緒に食べること」と大治さん

―現在、川越にお住まいですが、何かきっかけがあったのでしょうか。

制作した栓抜きを披露するイベントで、素敵なビールを用意して栓抜きを実際に使ってもらおうと検討しているなかで、コエドブルワリーのクラフトビールブランド「COEDO」を知り、工場へ足を運びました。「本気でクラフトビールを作っている人がこんなに身近にいたんだ」と思うとともに、川越という地を知りました。当時は都内で暮らしていたのですが、息子が小学校に上がるタイミングで「もう少し自然が豊かなところに住みたいな」と思っていたこともあり、2011年に川越への引っ越しを決意。街案内は、同社の代表取締役、朝霧重治(あさぎりしげはる)さんがしてくれました。古い建物や細い道が数多く残り、散歩をしていて楽しい街ですね。また、20年来の付き合いである木工作家、橋本裕さんの家にも近くなり、すっかりこの街が気に入ってしまいました。

洗面台などで使用する踏み台と子どもの椅子を兼用した「踏み台椅子」。写真左は長男が生まれたときにデザインしたもので、右は次男が生まれたときに改良したもの。大治さんがデザインし、橋本裕さんが制作しています。「初代の椅子は全て面合わせで依頼するなど、今になって考えると難易度が高いオーダーをしてしまったのですが、彼が何も言わず引き受けてくれたことで信頼が生まれ、今では大親友です」と大治さん

自宅キッチンも、橋本裕さんに依頼。木の天板やどんぐり型のプルスイッチなど、あたたかみのあるデザインです。「リビングのちゃぶ台もソファも棚も、うちにある家具のほとんどが、彼の手によるものです」と大治さん
 
川越では、賃貸マンションで6年暮らした後の2017年、今の家に引っ越してきました。川越と言えば古い蔵造りの街並みが魅力ですが、そうした物件に住みたいと思ってもまず出てこないですし、あっても貸してもらえることはあまりありません。今住んでいる貸家は、妻がPTA活動をしている中で教えてもらった空き家なんですよ。当時は荒れていましたが自分たちで直し、雑草がまるで木のようになっていた庭も3ヶ月かけてきれいにしました。今では、朝ごはんを食べながら庭の木々を眺めるひとときが幸せな時間です。 
 
川越氷川神社裏手の川沿いが、とても気持ちのいいエリアなんです。あの辺りに、自分の関わっているメーカーさんが川越に来たとき、好きに使ってもらえるようなゲストハウスを作れたらいいなぁという想いもありますね。これからも川越に住み続けたいと思っていますし、人口が減少して空き家が増えていくと思いますので、ご縁があればいつか、家を買うかもしれません。

川越氷川神社の裏手に流れる新河岸川は、桜の名所としても有名です

【WORK-LIFEBALANCE】仕事をしたい人は、ごはんを食べたい

―自宅が仕事場であり、プライベートスペースでもありますが、ONとOFFをどのように切り替えしていますか?

私の仕事は、生活の中にある疑問を反映しているものなので、そもそもONとOFFを分けていません。自分でデザインしている最中のものを日常生活で使い、使わないときにはどう見えるのか、家の中に置いてダイニングでごはんを食べながら眺めて考えています。
ただ、1階は食事をして、庭を眺め、くつろぐ「プライベートスペース」、2階のアトリエは「仕事場」として認識していますので、リラックスすることはないですね。より仕事モードになります。土日はできるだけ2階のアトリエに上がらず、アイデアを考えるくらいで作業的なことはあまりしないようにしています。

―デザインした作品のプロトタイプを奥さまに試してもらうそうですね。

食器などの試作品ができる度に使ってもらっています。妻はどんな作品を渡しても使ってくれるのですが、使いにくいとだんだん出てこなくなるんですよ(笑)。そうすると「ダメかぁ」と思ってやり直します。
 
僕がデザインした食器を使って食事を作ってくれるのもいつも妻で、昼と夜はスタッフも一緒にごはんを食べて仕事をします。
誰しも、フィーリングが合う人と仕事がしたいと思いますが、僕にとって一緒に仕事をしたい人は「一緒にごはんを食べたい人」です。だから、初めてお会いする人とはできるだけごはんを食べに行き「次にこの人とごはんを食べたいかな」と考えます。一緒にごはんを食べて、お酒を飲むことで、言葉にできない心地よさを共有できる人となら一緒にいたいし、仕事も楽しくできると思っています。
 

生活の中心は仕事。日常生活のすべてが仕事につながっています。
ごはんを作るのは、妻におまかせ。時間がある週末は子どもたちと一緒にスーパーへ行き、好きなものを買って家族揃ってごはんを楽しむひとときが好きです。お酒もよく飲みますね。家だとビールとウイスキーくらいですが、旅先ではその土地の魚と一緒にお酒を楽しみます。メーカーの社長さんと好きなごはんを食べて話をできるのが一番の喜びです。
あとは、家の生活環境を整えることについてばかり考えています。庭をどうしたいか、普段使っているものの使い勝手などを考える中にものづくりのヒントがあります。商品化の予定がないもの、例えばコートハンガーやトロリー、テラスの流しなどは、自分で図面を引き、お世話になっている作家さんにお願いして作ってもらいました。そういうものを考えているときが、非常に楽しいですね。

【End roll】大治将典さんのマイスタイルとは?

大治さんが海外の展示会に行くと、作品を見た海外の人々からいつも「ゴージャス」と言われるのだとか。日本語に直訳すると「贅沢」ですが、現地の人々は素材を活かした「ありのまま」といった意味で「ゴージャス」という言葉を使うそうです。
「Not Luxury But Gorgeous!」という言葉には、豪華に飾ったものではなく「素材の持ち味を活かしたものを作り、身の回りに置きたい」という意味が込められています。手工業デザイナーとして、全国各地の素材やものづくりの歴史に寄り添いながらデザインした作品だからこそ、世界中の人の心を掴んで離さないのだと感じました。

PAGE TOP