北海道の名付け親「松浦武四郎」
?松浦武四郎って、北海道の人?
「北海道の名付け親」と言われている松浦武四郎とはどんな人物なのでしょうか。
武四郎は1818 (文化15)年、伊勢神宮を訪れる旅人たちが行き交った伊勢参宮街道沿いの伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松阪市小野江町)で生まれました。16歳で突然一通の手紙を残して旅に出たのを皮切りに(この時は家出同然だったため、すぐに家人に連れ戻されました)、17歳から京都・四国・九州など全国を巡る旅に出ます。北海道には、縁もゆかりもなかったのです。
武四郎は“蝦夷ツウ”?
武四郎は、なぜ蝦夷地に詳しい第一人者となったのでしょうか。
武四郎が初めて蝦夷地に渡ったのは1845(弘化2)年、28歳の時。26歳まで僧侶をしていた長崎で、ロシアが勢力拡大のために蝦夷地を狙っていることを知り、自ら蝦夷地を調べ、その様子を多くの人に伝えようと決意しました。誰からの依頼でもなく調査を始めたのです。以降、1858年までの間に計6回探査に訪れました。3回目までは一介の武士として蝦夷地を探査し、その都度多くの書物を執筆して蝦夷地に関心のある藩や幕府に献上したそうです。書物には、地形や地名、動植物やアイヌ民族まで蝦夷地に関することが事細かに書かれており、世間では“蝦夷ツウ”とまで言われるまでになりました。それを評価した江戸幕府は武四郎を役人として雇い入れ、4回目以降は幕府の命を受け、探査の任務にあたりました。
ちなみに蝦夷地に関わる書物は、なんと151冊も執筆したそうです。
アイヌ語由来が多い北海道の地名
調査で案内をしてくれたアイヌの人々と交流を深め、アイヌ語を学び、人々の暮らしも詳細に記録した武四郎。アイヌに対する思いは強く、北海道を名づけたのに加えて、11の国名(石狩、後志などの支庁名)、86の郡名(札幌、増毛、室蘭など)も、武四郎がアイヌ語にちなんで選定しています。武四郎が「北海道の名付け親」と呼ばれる所以はこういうところからもみられます。
[取材協力]北海道/松浦武四郎記念館